ドラえもん映画「新・のび太の海底鬼岩城」を見てきて思ったこと

たけこの日常

映画ドラえもん「新・のび太の海底鬼岩城」を観てきました。何度も見た話だから内容は知ってたんですよ。でも、映画館で見たら…泣きました。大人になってから見ると、また別の視点で心に刺さるんだって驚きました。

バギーが見せる「心」とは何か

この映画で一番心に残ったのが、バギーのシーンです。バギーはドラえもんが与えた道具だけど、心を持つAI。その心がどういうものなのか、二つのシーンで見事に描かれてます。

シーン1:事務作業的な確認

ジャイアンとスネ夫がバギーに「バミューダ・トライアングルに行け」と指示します。

このとき、バギーは機械的に確認するんです。「いいのですか?」って。

事務作業的な感じで。テキオー灯の効果が切れそうなのを知ってるけど、指示されてないから言わない。ただ淡々と、「本当にこれでいいのですか?」と確認するだけ。

ジャイアンたちはテキオー灯の効果が24時間と知らないから、「バミューダは危険だけど大丈夫か?」という確認だと思う。だから「大丈夫、大丈夫」と答える。

バギーは指示に従うだけ。与えられたタスクを実行する。道具だから。機械的に、冷淡に。

シーン2:感情が全てを変える

ポセイドンとの戦いにて。

バギーはドラえもんのポケットの中に隠れてました。敵に怯えて。機械的に自分を守ってる。そりゃあ、合理的です。機械が安全装置を作動させたのと同じですから。

でも、しずかちゃんの涙の成分に反応します。

「しずかちゃん、ないているのですか?」

「友だちとはなにか」や「正解と正しいの違いはなにか」ということを学んだり、のび太たちの行動をみて感情が芽生えてきたバギー。そのバギーが機械ではなく、人間みたいに感情的に動きます。

「しずかちゃんを泣かせる奴は許さない!」

敵への恐怖?そんなもん関係ない。ポケットから飛び出して、ポセイドンに立ち向かう。最適解など関係ない。感情のままに。友達を守るために。

「心」の本質が見えた

この二つのシーンのバギーが見せてるのは、「心」と「道具」の違いです。

シーン1は、道具のバギー。指示に従い、事務作業的に動く。感情なし。冷淡。

でも、シーン2は違う。友達が泣いてる。その一点で、すべてが変わる。冷淡さが消える。敵への恐怖も、全部どうでもよくなる。友達を守る、友だちがいじめられたら立ち向かう。感情が、完全な論理を上回る。

それが「心」を持つってことなんですよ。

機械的な判断だけじゃない。感情で全部が変わる。友達のためなら、勇気が出せる。理性を手放す。時には死ぬことだってある。

でも、それがその時のバギーにとっては正しい。なぜなら、そこに「心」があるから。

AI時代だからこそ大事な「心の選択」

今、僕らはAI時代に生きてます。AIは完璧です。情報処理能力も膨大。感情がない分、正解を導きやすい。指示に従い、事務作業的に最適解を選ぶ。

バギーのシーン1は、そういうAI。それはそれで価値がある。でも、そこに心が生まれた時、全てが変わる。

データから見たら、最適な選択じゃないかもしれない。でも、心が正しいと思った選択なら、それを選ぶ。その勇気。感情が理性を上回る瞬間。

効率と完璧さを求める時代だからこそ、僕らには「感情で動き出す力」が必要なんだ。事務作業的な判断を手放して、友達が泣いてたら飛び出す力。

それがAIと人との違いかもしれません。

映画を見終わった時、そう思いました。

バギーが教えてくれたのは、AIが進歩していくこの時代、どううまくAIとつき合っていくか。そして人として大切にしていかなければならないことを教えてくれたように感じました。

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新・のび太の海底鬼岩城、ぜひ映画館で観てみてください!大人になってから観ると、また違う刺さり方をすると思います。

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